英語の勉強を一人でするのはなかなか続かないもの。
英語を話す必要性は通常ほとんどないですし、学生と違って大人はテストもありません。

そんな環境でも英語を身につけ、自分の世界を広げるには、実際に話す機会と一緒に習う仲間がいることが一番です。
ネイティブの先生や仲間とおしゃべりする”場”があれば、いい刺激や気分転換になり、英語の勉強も続けやすいもの。
(実際の勉強は一人でもしてもらう必要はありますが・・・)

Himawari Englishは英語を続けやすくするサークルのような大人の英会話です。飲みに出たりもします。

「英語の力をアップさせたい」 「少なくとも今ある力を落としたくない」 「飲みに行きたい!(?)」 
心当たりのある方、ぜひ一緒にHimawari English英語を"楽習"しましょう♪

2012年8月29日水曜日

苦痛で英語を学ぶのはやめにしませんか?

日本人は英語ができないとよく言われます。私もそう信じてきました。
しかし、この考え方のアンフェアーさとナンセンスさを最近感じる(ことができる)ようになってきました。
そもそもいったいどれだけ出来れば英語ができることになるのか?
想像の域をでませんが、きっと日本人の考える”英語ができる”は、

1.映画が字幕なしで見れる
2.外国人と英語で対等に渡り合える
3.TOEIC○○点 など・・・

(これらは今まで私の心のどこかにあった”英語ができる”の定義ですが・・・)

TOEICはさておき、
映画が字幕なしで見れるとか、外国人と対等に渡り合えるなど、そんなことを自分に課していたらナンセンスです。きびしすぎる考え方です。多少の勉強をしたからといって普通に日本語で暮らしていて起こるとは考えられません。逆に、(豊富とはいえませんが)私の今までの経験で、日本のTVを完全に理解できて、私と日本語で対等に渡り合えた外国人はいません。(9割方可能と思われる強者は2人います。驚かされるほど機転の利く頭脳の持ち主ですが、どちらも日本人パートナーがいるし、日本に住んでいた期間も充分にあります。)

もうひとつ、私の体験談なのですが、
これは私が10年前にカナダへ旅行に行ったときのこと。
空港行きのバスがなかなか来なかったので、バス停からスケートボードを持ったイスラエル人の若者とタクシーで一緒に空港に行くことになったのです。乗ったタクシーの運転手がパレスチナ人で、『えっ もしかして俺ってヤバイ?!?!』みたいな ”一瞬ヒヤリな体験” ではあったのですが、同時にその若者から言われたことをよく思い出します。彼は愛想のいいニコニコタイプではなかったのですが、すごい丁寧な英語で聞き取りやすかったので、
「英語が上手ですね、私は英語が得意とはいえないです・・・」 みたいなことを言ったら、
「私の国の言葉は英語に似てるからね。でも日本語はぜんぜん違う言葉でしょ」 と非常にさらりと言われました。(たぶん)

日本語は英語とはぜんぜん言語が違うし、思考文化もまったく異なるのです。
そして、かつ 英語に触れなくても私たちは問題なく暮らせてしまう・・・・


グローバル時代の要請もあります。まあ何年・何十年も前から(明治維新から!?)言われてて、状況は同じままの気もするのですが、、、。
それはさておき、せっかく今までしてきた英語学習。 この 『英語中途半端状態』をどうにかしたいものです。精神衛生上もきっとよくないでしょう。 

そのためには、つまり英語を自分の人生に活かすには、英語を苦痛ではなく、きちんと興味を感じられる状態で触れられる機会を増やすに限ります。 はい。

Let us Help you to study English !
どうぞHimawari Englishへお越しください。(強引終了)

1 件のコメント:

  1. 更新お疲れ様です。

    カナダでイスラエルの方との乗り合いタクシーですか?
    珍しい体験をされたのですね。

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